―――母なる名馬シーザリオ。
その名を聞くだけで、多くの競馬ファンの胸には、優雅でありながら芯の強い、あの凛とした走りの姿が蘇る。日米オークス制覇という偉業、スペシャルウィークへと連なる日本競馬の至宝の血脈。その血を未来へと繋ぐ使命を背負い、繁殖牝馬として歩み始めたシーザリオは、エピファネイア、リオンディーズ、サートゥルナーリアという三本の“偉大なる柱”を生み出した。
だが、シーザリオの物語は、決してその三頭だけで完結するものではない。
むしろ、その周縁にこそ、血の継承という営みの尊さ、競馬という世界の奥深さ、そして「名牝」という存在の本質が宿っている。
ここでは、あえてG1馬たちの光の影に存在する産駒たちに焦点を当てる。
勝てなかった馬、重賞を手にできなかった馬、種牡馬になれなかった馬、目立つ戦績を残せなかった馬たち――。
しかし彼らこそが、シーザリオという母の物語を“血”として未来へ運んだ、かけがえのない存在なのだ。
■ トゥエルフスナイト(Twelfth Night)
シーザリオの初仔として生まれたこの牡馬は、まさに“始まりの命”だった。
父はキングカメハメハ。日本競馬の二大血統が初めて交わった象徴的な存在であり、血統表だけを見れば、未来のG1馬のように思えた。
しかし競馬は血統だけで語れない。
トゥエルフスナイトは脚元に不安を抱えており、デビューは未勝利戦も終わろうとしていた9月後半。既出走馬相手に快勝したものの、結局この一戦が最初で最後の出走となり1勝馬として静かに競走生活を終えた。
だが、忘れてはならない。
この馬は、シーザリオが母として生き始めた最初の証なのだ。
繁殖牝馬としての身体、母体としての負担、出産という命がけの営み――その最初の経験を共にした存在。
名牝の物語は、勝利からではなく、出産から始まる。
トゥエルフスナイトは、まさにその象徴だった。
■ ヴァイオラ(Viola)
初仔のトゥエルフスナイトと同じく父キングカメハメハだが、競走馬としては走らなかった牝馬。
記録にも、戦績にも残らない存在。
繁殖牝馬としての価値は、走ることだけでは測れない。
命を宿し、血を繋ぎ、系統を未来へと運ぶこと――それもまた競馬の本質である。ただ、3歳2月に蹄葉炎にて死亡。
“走らなかった”という事実は、“存在しなかった”という意味ではない。
シーザリオの娘として生まれたという一点だけで、彼女は血統史の一部であり、物語の一部なのだ。
競馬の世界には、記録されない尊さが確かに存在する。
■ ロザリンド(Rosalind)
競走馬としては未勝利。
だが、彼女の真価はターフの上ではなく、繁殖牝馬としての血の継承にあった。
彼女が産んだ一頭――オーソリティ(Authority)。
青葉賞、アルゼンチン共和国杯を制し、東京競馬場で堂々たる走りを見せ続けたステイヤー。
シーザリオ → ロザリンド → オーソリティ。
この血の流れは、派手なG1タイトルではなく、確かな競走能力という形で受け継がれた系譜だ。
勝てなかった母から、重賞馬の息子へ。
それは競馬が持つ“再生”の物語であり、希望の象徴でもある。
血統とは、勝者だけのものではない。
積み重ねの物語なのだ。
■ クローディオ(Claudio)
去勢され、種牡馬の道を歩むことはなかった一頭。
だが、彼もまたシーザリオの血を体現した存在だった。
ハービンジャー産駒らしい体質、奥行きのある馬体、精神的な繊細さ。
競走馬としての成功とは別に、“母の血を受け継ぐ存在”としての価値は確かにそこにあった。
競馬は選別の世界だ。
すべての馬が未来を与えられるわけではない。
だが、選ばれなかった命にも、意味がある。
それが、シーザリオの子であるという事実なのだ。でも、現在は乗馬クラブクレイン北大阪にて第二の馬人生を幸せに歩んでいる。
■ グローブシアター(Globe Theatre)
7勝馬。
派手なタイトルはないが、長くターフに立ち続けた堅実な競走馬。平地でも5勝を挙げて重賞にも出走した活躍馬であるが、特筆すべきはシーザリオの一族では唯一、障害競走でも活躍し、オープン勝ちを記録している部分である。
この馬が象徴するのは、名血の“日常性” だ。
G1馬を生む母は、同時に“堅実な勝ち馬”も生む。良血馬でありながら障害競走でも活躍できる守備範囲の広さはシーザリオ系の奥深さを示している。
これは血統の安定性であり、繁殖牝馬としての完成度の証明でもある。
派手ではない。だが確実。
それこそが、名牝の本当の価値なのかもしれない。
(後編に続く)


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